これからの人生設計

山あり谷あり私の人生その18
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こんにちは、まりんばぁです。

プチ家庭内別居宣言してからあっという間に1年が過ぎた。

その生活にも限界が生じ、いよいよ別居することに覚悟を決めた矢先に私の人生は、思いもよらない方向に進み始めた。

前回の「脳って不思議だね」の続き。

旦那が突然脳腫瘍で手術をして術後の経過があまり良くなくて、かれこれ2カ月入院を余儀なくされている。

容態が安定したら、リハビリのできる病院に転院することになっていて、ようやく10月21日に転院することが決まった。

今は転院に向けて準備を進めている最中だ。

パジャマ・リハビリ中のジジャージとかおむつとかは病院で調達できるが、下着、靴下、靴は用意しなくてはならない。

今の病院は車で5・6分ぐらいで行ける距離なので苦にならないが、転院する病院は車で40分強かかる。

このまま職に就かずにフラフラしていられないし、できれば転院を機に働きたい。

そうなると洗濯物の受け渡しも1週間に1回ぐらいしか行けそうもない。

下着や靴下は2週間分ぐらい用意しないといけないかな。

それ以外でも細々した雑貨類も必要で、その全てに記名しなくてはならないのだが、下着や靴下に名前を書くのって結構大変だ。

そんなことをしながら今週は過ごしているのだが、転院したらこの先のことをもっと真剣に考えなくてはならない。

思えば旦那と結婚してから、振り回される日々で、自分のしたいことをあまりしてこなかった。

一種の洗脳みたいな生活で、言われる通りのことしかしてこなかったので、一体自分は何がしたいのかが良くわからない。

今までやってきた仕事も子どもの学費を稼ぐのが目的で、必要な学費を稼ぐための金額に見合ったもので自分に合っていた職業とは言えなかったかもしれない。

まぁそれでも職場では仲の良い友も出来たりして楽しかったが。

現在無職になって、旦那のこれから先の生活スタイルも見えつつある状況で、まだ20年ぐらい続く私の人生を見直さないといけないと真剣に考えている。

旦那が施設に入ることになれば旦那の年金で十分賄える。

旦那が家に帰って来れても、施設に入っても旦那は自分の年金で生きていける。

私は年金が出るにはまだ4年近くある。

しかも正社員として働いた時期は本当に少なくて、パート中心だったし、旦那の扶養に入っていた時期も長いので、そんなに年金も出ない。

だけど、温泉や観光で旅行もしたいし、観劇もしたい。

そうなると体が動く間はいくつになっても働いていないと生活していけないだろう。

でも、長く働くにはやりがいのある仕事に就きたい。

そう思ったとき、一体私はどんな仕事をしたいんだろう?と考えてはみたのだが、いっこうに答えが出ないのだ。

一瞬だけ保険外交員をしたこともあるが、営業には本当に向いていなくて、数ヶ月で辞めてしまった。

営業事務ということはしたことがあるけど、まぁそれも一般事務とあまり変わらない感じだった。

事務しかやってきたことがないので、その他の職種に就くことに正直自信がない。

でも60歳を過ぎたおばさんなんて、事務でとってくれる会社はないだろうなぁ。

別居を決意して、仕事を辞めて、遠方の実家で暮らすため準備していた8月。

実家の地方での再就職先もほぼ決まって万全のスタートを切るはずだった。

それが旦那の手術・入院で全て台無しとなってしまった。

もうこんなラッキーな就職先は見つからないだろう。

悔やんでも悔やみきれない。

旦那を恨んでも何も始まらないから、転院したら早々にハローワークに通って早く仕事をみつけなくちゃね。

やりがいのある仕事に就いて、旅行もいっぱいして、観劇三昧なんて夢の生活を手に入れたい。

それにはまず収入先を確保して、少しでも早く実現できるできるように頑張らないとね。

その19へつづく

これから何をしたいのか正直自分でもわからない
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