振り出しに戻る

山あり谷あり私の人生その31
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こんにちは、まりんばぁです。

プチ家庭内別居宣言してからあっという間に1年が過ぎた。

その生活にも限界が生じ、いよいよ別居することに覚悟を決めた矢先に私の人生は、思いもよらない方向に進み始めた。

前回の「当日だけど、午後なんだよなぁ、、、」の続き。

午前中に散歩をして気分転換をして午後2時から主治医の先生から旦那の病状についてお話を聞いた。

相談員さんと看護師さんも同席しての説明。

旦那は脳腫瘍で2度も開頭手術をしたというのに、驚異的な回復力で転院のタイミングには私から見てもほぼ入院前の状態に戻っていた。

転院当日の主治医の先生の初見でも施設に入ることなく家に戻れると思うと太鼓判を押された。

介護認定の面談でも調査員さんの質問にスラスラと答え、片足立ちまで披露したので、介護認定もつかなかった。

それでも、見えない障害、例えば「高次脳機能障害」の可能性があるとのことで1ヵ月かけて細かい検査をしていただいていた。

その検査結果が出たのである。

先生のお話では、若干新しいことを覚えるのに少し時間がかかるとか、すぐに忘れてしまうようなところもあるが、生活に支障をきたすレベルではなく、ほかの認知機能については普通以上の数値が出ているので、全く問題がないとのこと。

バスに乗ったり、電車に乗って働きに行くことも可能だそう。

ただ、癲癇症状はあるみたいであと1年は薬を飲み続ける必要があり、発作がいつ起きるかもわからないので車の運転は2年ぐらいはしないほうがいいとのことだった。

車の免許を持っていない人は世の中にたくさんいるわけで、皆さん普通に生活をしているのだから、旦那がしばらく車に乗れなくても生活に不便することは少ないだろう。

先生からひとりで生活するのには何も心配なく回復しているので、私が実家に帰っても大丈夫だとおっしゃっていただいた。

うーん、それは8月に入院する前の状況に戻るということか。

退院日については必要なリハビリは12月初旬で終了するので、病院側としては遅くても中旬には退院してほしいとのことで、12月2日に病院で旦那と退院日について話し合うことになった。

本音を言うと、まさか完全に回復するとは思ってもいなかったので、旦那は退院後は施設に入居して、私がこの土地で暮らし続ける覚悟をしていた。

私にとってこの地で住みやすくなるためにどうすればいいか模索し始めていた。

ハローワークに通って就職活動にも力を入れていた。

この3ヶ月、ただただ家にいて旦那のためにあれこれと動いてサポートしてきた。

それなのに回復した旦那からは入院中も命令・指示ばかりで感謝の言葉をかけてもらったことはない。

なんか無職になって、実家にも帰れなくて、再就職のチャンスも諦めて、損ばかりしている気がする。

まぁ、悪く考えると気持ちが暗くなるばかりだから、8月の状態・振り出しに戻ったと思うことにしよう。

まずは雪対策のスタットレスタイヤに交換して、旦那が退院するまでに少しづつ実家に荷物の搬入を始めることにしよう。

その32へつづく

時間に余裕がないけどしっかり準備しないとね
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