あの嫌な感じの旦那降臨

山あり谷あり私の人生その16
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こんにちは、まりんばぁです。

プチ家庭内別居宣言してからあっという間に1年が過ぎた。

その生活にも限界が生じ、いよいよ別居することに覚悟を決めた矢先に私の人生は、思いもよらない方向に進み始めた。

前回の「無職になってからのほうが忙しい私」の続き。

今週末に病院から呼び出しがあり、担当医から旦那の容態の説明といよいよ転院の目途がたち、その打ち合わせが行われた。

説明・打ち合わせの後、洗濯物の受け取りも含めて、旦那とも面会できることになった。

少し前から意識もはっきりしてきていて、携帯電話で電話をしたり、メールすることも出来ていた旦那。

補助器具を使って弱々しく歩いて登場してきた姿とは打って変わって話すことは絶好調になっていた。

元気な頃の旦那はとにかくマシンガントーク。

それも一切人の話を聞かないで自分の話したいことを話まくるタイプ。

なので旦那が元気な頃から会話が嚙み合わないことが多かった。

入院以前の会話では内容は大体自分がいかに優秀で何でもわかっているから、お前は俺の指示に従っていれば間違いがないという流れに始終私は黙っているか、「はい」と返事をするまで続いた。

一方的にまくし立てて話が終わることばかりだったので、旦那と会話するのが苦痛でプチ家庭内別居宣言したくらいだ。

そして、2・3日前のメールからそんな指示するような内容に変化していたのが少し気になっていた。

それが現実となってしまったのか、高圧的な旦那が降臨してしまったようだ。

旦那は私の顔を見るや否や入院中の不便さをどんどん語りだした。

ある程度話を聞いて、今回の転院の打ち合わせをしたかったので、そのことを切り出すと、私の話を遮って、転院先の資料のコピーを取り出してなんと旦那が転院先の病院の説明をし始めた。

患者という立場のくせに、看護師さんに無理を言って、こんな立派な資料を作らせたの?

入院、退院、転院とかの手続きは患者本人がすることは稀で、大体は家族がするものだ。

病気で大変な患者が率先して手続きすることは無いはず。

なのに旦那は得意げに資料を片手に、病院の所在地・規模とか、入院当日には何を持っていくのかとか、何を準備しなければいけないとかを私に説明・指示を始めた。

これだよ、これ!

この自分中心で、全て私に指示するこの態度が本当に嫌なの。

私に任せるということを知らない。

今は病室で何もできないくせにまだ私に指示するのか、、、

もう呆れてしまって言葉も出なかった。

なんとか「もう9月5日に実際に転院先の病院に行って説明を受けているから大丈夫」と返事をしたのだが、

「本当に大丈夫か?わからなかったら教えるぞ」とまで言われて正直ムカついてしまった。

この2カ月弱いったい誰がいろいろと手配してここまでこれたのかわかっているのか?

はらわたが煮えくり返る思いでいっぱいになった。

これから転院してリハビリがうまくいけば家に帰ってくる可能性が大きい。

介護・介助される身になってもまた私は任せてもらえず指示ばかりされる毎日のなるのか?

脳腫瘍で一時言葉はうまく出なかった旦那を可哀そうに思って、旦那に対する憎悪の感情が影を潜めていたが、一気にまた再燃している。

一瞬でも今までのことを許してもいいなんて思った自分がバカだった。

やっぱり、病気をしても旦那は変わらないんだな。

家に帰って来れる判断になった時、あの高圧的な旦那の面倒をみるなんてまっぴらごめんだ。

今度こそ実家に帰ろうかな。

その17へつづく

お前のそういうところだ大嫌いなんだよ
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