こんにちは、まりんばぁです。
無実の罪で実家を追い出されてアパートでのひとり暮らしも1週間が過ぎた。
1K6畳間という狭いアパート。
Kの部分にキッチンとトイレとお風呂があって6畳間は板の間(床の間との説明だった)1畳分と押し入れ1間あるので6畳の部屋が広く使える。
むこうの家でプチ家庭内別居をしていた時にいつでも追い出されてもいいように車中泊できるように寝具から食器からありとあらゆる生活用品を地道に集めていたのが功を奏していまアパートで大活躍してくれている。
先見の目があったのか?なんて自分を自画自賛している。
本当にコンパクトな部屋だが、使いようによってはとても機能的でいとこがいろいろとアイデアを出してくれて、100均のお店を駆使して隙間や空間を工夫して棚などを作ってとても使い心地がよい部屋になりつつある。
まだ引っ越してきて1週間しか経っていないので整理できていないものもあるが、部屋の完成形が見えてきてこれから先がとても楽しみだ。
狭いながらも楽しい我が家。
支配的な母から逃れて短大、就職と東京で4年間過ごしたことを思い出す。
学生援護会紹介の下宿は大家さんちの敷地内にあって、キッチンとトイレが共同で風呂なしの4.5畳の部屋。
私は高校の同級生と一緒に住んでいた。
通う短大は別だったので、帰宅時間が合わなかったりして毎日一緒に食事を取ることは出来なかったが、予定が合えばふたりで料理して一緒に夕食を食べたり、夜遅くまで近況を話したりしてとても楽しかった。
何より母の絶対的支配力から解放されたという安堵感があって、精神的にとてもリラックスすることが出来た。
就職して2年ほどで無理がたたって体をこわし実家に戻ったが、早く実家を出たくて何も考えずに旦那と知り合ってすぐに結婚をしてしまったのが私の人生の最大の汚点だ。
母との関係は主従関係で昔から母から母性を感じたことはなかった。
私のことよりも世間体を第1に考える人だった。
でも歳を重ねて人間は少しは丸くなって、今までの人生でいろいろな経験をすることで人って変わるものだと思っていた。
自分もかなり昔とは考え方が変わってきている自覚がある。
特に他人にとても寛容になったと思う。
母もそうだと信じて去年の年末に実家に戻ってきたが、母は昔と全く変わっていなかった。
傷心して戻ってきた私よりも世間体を気にする。
自分の思い通りに私が全て従わないと気が済まない。
いつまでも支配下の中での生活。
果てには妄想で私に男がいると思い込んで追い出しの脅迫状まで書く始末。
そして実家を追い出されて今アパートでひとり暮らしを始めた。
今の生活は短大当時に戻ったようだ。
またひとりになってこれからの人生は誰にも支配されないで楽しく過ごしていくことにしよう。
その99 へつづく


