あぁ、もううるさい!

薔薇色になりつつある私の人生その109
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こんにちは、まりんばぁです。

旦那とプチ家庭内別居の末、紆余曲折しながらようやく別居することが出来て、去年の年末に実家に戻って母と同居を始めた。

もう実家しか頼るところが無かった私にとっての究極の選択だったが、母は最初から乗り気ではなかったらしく半年の同居で突然母から脅迫状を突き付けられて実家を追い出されてしまった。

真夏のものすごい暑い時期の引っ越しは体力的にも精神的にもとても辛かった。

何の準備もしていないでほぼ無一文状態で追い出されて金銭的にもかなりきつかった。

いとこや友達のおかげで無事引っ越すことが出来て今2ヵ月目。

落ち着きつつあるがまだまだ生活は安定してきているとは言えない。

母は私を追い出した直後も姉と豪華な食事会に行ったりして、私のことなど本当に関心が無いんだと思うような行動をとっていた。

追い出された直後から電話やメールが届いて、その内容がどれも上から目線で「落ち着いたら顔を見せに帰ってきなさい」とか「いつ夕食一緒に取れる?」みたいなもので、自分が追い出したという認識から私が勝手に出ていったように頭の中で変換されているみたいだった。

何事もなかったかのように毎朝「おはよう」のメールをよこしてくる。

全く返事を返さないでいると、「いつまでも意地を張っているな」みたいな内容のメールさえ送ってくる始末。

母は昔から自分の思い通りにするためには手段を選ばない。

恫喝や脅迫、しまいには暴力まで振るわれた。

今思うと本当に気性の激しい母だったと思う。

そんな母に常に怖いと思う感情、恐怖を抱いていた。

母から早く逃れたくて結婚を焦ってしまい、母と同じタイプの人間を選んでしまった、、、

歳を重ねるごとにいろいろな経験を経て性格が温和になる人がいる。

実際私も昔に比べて随分丸くなったと思う。

母にもそれを期待しての同居だったが、それは甘い考えだったみたいだ。

私の人生、ずーと長い間支配され続けて今ようやくひとり暮らしになって本当の自由に触れることが出来た。

母に追い出されてむしろ本当に良かったとさえ思っている。

ただ、もう母の顔も見たくないし、会いたいとも思わない。

メールも迷惑だ。

それなのに、夜入浴中に電話の着信があって留守電にメッセージが録音されていた。

メッセージの内容もやっぱりいつまでも意地を張っていないで夕飯を食べに来いというものだった。

あと1ヶ月で92歳になるが、メールも電話も留守電も入れることが出来るなんてまだまだしっかりしている。

ひとりで何もかも出来ているみたいだからまだまだ放っておいても大丈夫だろう。

もう我慢してまで会いに行く気はないし、連絡も取りたいと思わないからこのまま返事はしないことにする。

その110 へつづく

その自己中いい加減にして
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