嫌いなひとの名前を何十回と書く苦行

山あり谷あり私の人生その29
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こんにちは、まりんばぁです。

プチ家庭内別居宣言してからあっという間に1年が過ぎた。

その生活にも限界が生じ、いよいよ別居することに覚悟を決めた矢先に私の人生は、思いもよらない方向に進み始めた。

前回の「運命の日が決まった」の続き。

旦那が脳腫瘍で入院してから3ヶ月、下着と靴下の洗濯物の受け渡しを定期的に行っている。

パジャマとかタオル類、紙おむつ等は病院でお願いしているが、少量の洗濯物とはいえ、定期的に病院まで通うのは結構大変だ。

手術をしていただいた最初の病院は車で10分もかからない距離だったので、それほど苦痛ではなかったが、リハビリ転院した今の病院は車で片道1時間弱かかるので正直言って苦痛だ。

まして病院に届けるもの全てに旦那の名前をフルネームでいちいち記入しなくてはならない。

下着、靴下、それを入れる袋、持ち込んだペットボトル1本づつ、小銭を入れたビニールの袋まで全てだ。

特にコーヒーのペットボトルは全体が黒いので名前を直にかけない。

シールに名前を書いて1本づつ貼っていかなくてはならない。

本当はもう関わりたくない嫌いな旦那の名前を書かなくてはならないのが苦痛でしかない。

入院以来、嫌いな旦那の名前をこれまでに何十回と書いてきた。

この作業はもう苦行と言ってもいいと思うほど辛いものだ。

名前を書くたびに旦那にされた嫌だったこと、辛かったことを思い出してしまう。

洗濯物の受け渡しだけだったら直接旦那と顔を合わせることもないのだが、持っていく物全てに記入されている旦那の名前を目にするだけでも気持ちが暗くなる。

言い知れぬ恐怖が蘇ってくる。

1日でも旦那のことを思い出さないでハッピーな気持ちで過ごすことが出来るようになる日が私には永遠に訪れないかもしれないとさえ思ってしまう。

そんな恐怖と戦いながらこれから先も過ごしていかなくてはならないのかと思うと夢も希望もない。

私にはあと20年ぐらい余生があると思っている。

これからは旦那に支配されることのない自由な生活をしてみたい。

今まで我慢してきたことをいろいろしてみたい。

とりあえず、運命の日に一縷の望みをかけたいと思う。

その30へつづく

いつになったら旦那との縁が切れるんだろうねぇ
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